大門康彦 履歴書      昭

  昭和33年 (1958年) 10月21日  富山市に生まれる  天秤座 O型 書          趣味 お酒 食べ歩き 料理 写真  NBA(日本バーテンダー協会)コムラッド会員

昭和33年(1958年)1021日富山市に生まれる。天秤座 O型


 3歳よりオルガン教室に通わされる
   他に 書道 珠算 水泳 ボーイスカウト 中学では吹奏楽 合唱 剣道 他に地元の野球チームの練習もあったりして大忙しの少年期であった


                      富山市立針原小学校在学中は 何をやっても出来たので「神童」と呼ばれた
                      オルガン教室は小三の頃辞めていたが 小五からはエレクトーンを習っていた 
                  当時はまだめずらしい楽器だったので 音楽室で演奏している姿が神童と思わせたのかもしれない
 
 
 
                      友井昌美氏の下で高三までエレクトーン、ポピュラー音楽編曲法を学ぶ  
                      舘林好美氏の指導で高二でヤマハエレクトーン指導者グレード取得




       富山市立北部中学校から県立富山東高校へと進むが その頃には神童の神通力もすっかり弱まり
高三の頃の成績は
350人中330 番あたりだった
                 高一の夏に 突然 音楽大学作曲科への進学を希望 中学時代の音楽教師だった林 志津子先生に電話
                         そこで紹介されたのが富山大学教授の小澤慎一郎先生だった
 

小澤先生の
 「作曲家は食えないぞ 声楽がいい」とのご意見
  今思うに声楽家がそう安定した職業とも思えないが 作曲家志望少年はあっという間に声楽家志望へと変わり
         当時 富山県合唱連盟理事長だった小澤先生の混声合唱団「叢声楽苑」(
そうせいがくえん)に入団



               高2からは 洗足学園大学助教授 高折続先生 東京芸術大学教授 渡邊高之助先生のレッスンのため ほぼ毎週 富山から東京へ通う
                  このあたりから学校の成績が下がってきた しかも音大受験には理系科目が必要でなかったため全く勉強しなかった


                  昭和
523 月 洗足学園大学声楽科 東京芸術大学音楽学部声楽科 両大学合格 東京芸大に入学する
                 そこで富山の田舎猿は大カルチャーショックを受けるが自然に合唱出身者仲間で話が合うようになってきた


         辻正行氏の長男辻秀幸氏 清水雅彦氏 寺澤直樹氏 彼らとは同期生というだけではなく 今も日本合唱指揮者協会の会員としての付き合いがある
             当時 大学内で唯一の合唱部的存在であり バッハ作品を演奏・研究するサークル「バッハカンタータクラブ」に所属 

            小林道夫氏を指揮者とし 先輩には佐々木正利氏 鈴木雅明氏らが在籍 学生サークルと呼ぶには恐ろしい程のハイレベル演奏団体だった
   
               
                     私の音楽への考え方が
180度転換した充実の時間でありドイツ音楽への開眼だった

                         
                              さて 開眼して大学は卒業したものの生活は何も変わらない
                        学生の頃から 辻正行氏の下で副指揮・発声指導など行っていたが「合唱指揮者です」と名乗るほどの立場でもない
                      そんな時 辻氏の強い薦めで 長男の秀幸 次男の辻志朗氏と
三人で約一か月間の「ウイーン短期留学珍道中」に旅立った
                    ウイーン音楽大学夏期講習会で ハンス・ホッター  
ロベルト・ホル  トム・ボレン  デヴィット・ルッツ氏
の指導を受け
 
                         
                            
開眼した目がまた閉じてしまうくらいの衝撃があった



        その後も合唱指導を続けながら 芸大の同級生や後輩らで結成したプロ男声合唱団「クロスロードシンガーズ」が辻音楽事務所の天才的マネージ力もあり
                      最盛期には地方公演では一日に
34ステージをこなし 最高記録ではなんと一年間で約300公演以上を記録した時もあった
  ビクター コロンビアなどでのレコーディング多数 「おれたちひょうきん族」の「ひょうきん絵描き歌」レギュラー出演 「
NHK紅白歌合戦」「レコード大賞」などの
                                                       バックコーラスを歌っていた時期はこの頃だった


                                        プロ活動のいろんなことを知った時期だ



                        ドイツ音楽の閉じかけた目を再び開こうと ロータリー財団の奨学生試験を受け
                    1984年 同財団奨学生としてオーストリアのザルツブルグ・モーツァルテウム音楽院へ留学
                            発声法をルドルフ・クノル  オラトリオ解釈をヴァルター・ラニンガー各氏に師事      
           留学中はザルツブルグから抜け出し ウイーン、ミュンヘンをはじめ イタリア オランダへの音楽鑑賞旅行に励む 
                  数年前にウイーンで師事したロベルト・ホル氏を訪ねて、オランダ・ロッテルダムへも通った
                ドイツの聖ツェノ教会専属バス歌手になったこともあり一年間の留学予定は二年以上になってしまう



 帰国後 富山・東京での「帰国報告リサイタル」のあと オペラ・オラトリオ・ドイツ歌曲・日本歌曲などを中心に歌手としての活動と 合唱指揮者としての活動を始める





                現在 日本合唱指揮者協会理事 81アクターズスタジオ講師  趣味 お酒 食べ歩き 料理 写真   NBA(日本バーテンダー協会)コムラッド会員